昭和26年生まれ ウサギ年 いて座 O型 群馬県出身

子供のころの記憶はあまり鮮明ではありません。

それは中学時代が大きくかかわっていると思われます。

小柄・やせ形の時には、小学校の鉄棒、跳び箱が好きで、運動が大好きでした。

それが大きく変わったのが、肥満です。

確か小学5年生の時、給食が中止となり、母の作るお弁当の毎日になったのです。

好き嫌いが多く、主に野菜系が苦手で、食べきれないと残されて鼻をつまんで、泣きながら食べた記憶があります。

それが母の弁当は好きなものばかり。太らないはずがありません。

若かりし頃

若かりし頃

中学に進むと“チビデブ”な私はいじめられる対象になりました。

休み時間になると、同級生3人組にトイレに連れていかれ、便器に押し付けられるのです。

その三人組の事は・・一生忘れないと思います。

この経験が忍耐と無理やり忘却する術を得るきっかけでした。

歯学大会 ダブルスで優勝 浅妻先生と

歯学大会 ダブルスで優勝 浅妻先生と

高校一年の夏、また大きく状況が変わりました。テニス部の練習のせいか、第二次成長期の為か、身長が伸び、標準的な体形になりました。

そして好きになった、テニスに夢中になり、夜、家の前のブロック塀に電気を引きいわゆる壁打ちに熱中しました。

其の甲斐あって、テニスの対戦成績が上がり、関東新人大会や関東大会に群馬代表として、上京するようになりました。

当時、同じテニス部の同級生が8人だったとおもいますが、皆から明らかに嫌われた時がありました。「嘘もつかず、真実を言っているのに、なぜ嫌われるのだろう?」

答えはこういう事でした。例えば・・・二人が楽しそうに話しているのを聞くと、明らかに間違っている事で爆笑している。ならば正しい事を教えてあげよう!(上から目線)

偉そうに事実を伝えると彼らは、笑いを止め、静かに去って行きました。そこで学んだ事は、伝える時に、バカを演じるのも良いという事です。

事実を淡々と伝えるのではなく、笑いを交えて、まずは同調して笑い、何かの拍子に真実を語る方法に変えたのです。

これはすぐに効果がありました。その後は仲良くなりました。

軽井沢「離山房」のマスターご夫妻とともに

軽井沢「離山房」のマスターご夫妻とともに

高校を卒業する時、家業の医療を選ばず、文科系の学部を受験する許可をもらい、青山学院の経済学部に入学しました。しかし本音はテニスで生活できれば良いなぁと願っていました、数年後転機が訪れました。

帰郷するように言われ、なにか医療系の方向にしてはどうかと言われ、鍼灸学校に行きました、まもなく医学部受験を打診されたのです。

ところが私のアパートの隣の部屋の住人が歯学部の野球部、しかも同郷だったのです。

その縁があって日歯大のテニス部にコーチに伺った事もありますが、父にその話をし、歯学部ではどうかと言うと、それで良い!といわれ、歯科医師の道をたどる事になりました。

卒後、先輩に言われた通り、ネクタイをしめて医科歯科大の教室を訪ねると、教授に会いなさいと言われ、勤務歯科医時代を過ごしました。

長崎大に行ってくれないか!と依頼を受け、医科歯科大に戻って一か月後、人生を一変させる出来事がおこりました。

つまり整理をすると、やんちゃな幼少期、チビデブのいじめられ時代、テニスに夢中の歯科医師時代・・・そして調べ続ける30年という事になります。

音楽は大好き

音楽は大好き

激痛体験後

それはゴムバンド健康法・骨盤の30年でしたが、これから骨盤は語らず、ゴムバンド健康法の普及担当者(マッサージ・指圧師・按摩師の国家資格あり)になるだろうと思います。

骨盤とゴムバンドを語る上では 故五味政吉先生の事を抜くことはできません。わが師でもあったし、生き様も学ばせて頂きました。

師に伝えたい事は、先生の考えた事は、とてつもない論理の健康法でした!と!!

これが私のライフワークの概要です。

「正直が最良の糧!」
昔、友人から聞いた言葉ですが、
前進するのエネルギーの元になります。
30年経って、大事な言葉は「信は真に通ず!」

出版物 全14冊 取材 雑誌・健康雑誌・週刊誌 多数

テレビ・ラジオ等 マスコミ多数